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呼和浩特通信(フフホトつうしん)
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<お知らせ>

このたび、ホームページを引っ越しました。新しいアドレスは
http://www.geocities.jp/suteichai/index.htm
になります。
今後、この旧ホームページでの更新は行いませんので、
新ホームページをご覧下さるよう、よろしくお願いします。

<留学日記>

過去の日記はこちらから

2004年9月11号(六) 晴れ
夜中、激しい下痢で2〜3回目が覚め、熟睡できず。しかも7:30にSからの電話で起こされ、次は8時くらいにNさんの電話で起こされる。「明日も用事があるので今から馬頭琴の練習をしたい」という内容だったが、あまりにも突然で体調も最悪なので断る。最後はこちらからH老師に電話し、10時からのモンゴル文化の授業を休ませてもらう。この後12時くらいまで休むことができた。
片道45分自転車をこぎ財経学院へ。軍服姿のSに会い郵便を渡す。今週と来週は授業なしで、土日も軍事訓練だとか。19日以降は軍事訓練がなくなり土日も休めるということだった。

2004年9月10号(五) 晴れ
昼食後、少しだけRと話。「シャワーを浴びる」という言葉(英語)が出てこず、体を洗うマネをすると、わかってくれたものの笑われた(別にバカにする笑いではないけど)。いくら勉強してないとは言え、こんな簡単な単語すら出てこないなんて情けない。
14時からD老師の会話クラス。口語専用の教科書を用意し、最初はテープを聞き解説、最後はD老師と会話練習、としっかり準備してくれていた。さすがD老師。あと約1年ぶりにD老師の授業を受けたが、発音がきれいだと改めて思った。
帰宅後、馬頭琴の練習をしているとY先生から電話。来年の9月前後にフフホトで革工芸品の展覧会をやるらしく「打ち合わせを今からするので記録と通訳を手伝って欲しい」ということだった。その後すぐ、今度はCさん(以前の馬頭琴の先生。現在広州在住)から電話。声に元気がないと思ったら「内モンゴルに帰りたい」。広州に行ったばかりの時は演出(演奏)する機会がたくさんあったものの最近はほとんどなく、最低限の生活しかできていないらしい。まだ決まった訳ではないけど、もし帰って来るなら嬉しい反面「成功できなかった」ということが寂しくもある。
18時にウランチャブ東路の小肥羊へ。Y先生、Aさん、それにどこぞの大学だか芸術学院だかの先生という人に会い、火鍋をつっつきつつ打ち合わせ。

2004年9月9号(四) 晴れ
昼食後、受付にいるとR(アメリカ人)が来て英語!で話。途中からD老師も混じる(仕事しなくていいのか?)。非常にインチキな英語ではあったけど、それでもなんとかコミュニケーションをとれた自分に驚く。
17時前にモンゴル文化の授業終了後A家へ。S(Aさんの妹)に日本語を教えているとY先生から夕食に誘われ、Y先生、Aさん、Aさんの生徒(Aさんは革工芸の先生をやっている)、S、G君の11人でモンゴル料理屋へ。続いて21時すぎにカラオケへ。Y先生は70歳すぎなのに23時くらいまで一緒にいて「楽しい」と疲れてない様子。タフだなーと驚く。23:30に帰宅、シャワーを浴びて27時にようやく就寝。

2004年9月8号(三) 晴れ
13時ころ小金星で昼食、その後寮へ行きH(ナイマン旗の植林地で知り合った高校生)に手紙を書く。
17時ころ、Aさんから電話。「Y先生(Aさん日本留学中の革工芸の先生)が日本から来ている」ということで、18時にA家にお邪魔、Y先生、Aさん、S(Aさんの妹で私の日本語の生徒)と4人で「Monggun obog_a(銀のオボー)」というモンゴル料理屋へ。ここでY先生の知り合い&Sの先生というDさんに会い、5人で夕食。
夜、Tさん(通遼で日本語を教えている日本人)から電話。PCに何やらトラブルがあるみたい。アドバイスするが、電話越しなので実際操作して見せることができず、言葉を選ぶのが難しかった。

2004年9月7号(二) 快晴!
8時前に寮へ行くとZ老師に会う。老師から「昨日どうして来なかった」と言われ、昨日の午後図書館の入館証をつくりに行く約束をしといて思いっきりすっぽかしてしまったことを、ようやく思い出した。
8時から本科で授業、10時から寮で第1回会話クラス。といっても、やっぱりただのおしゃべりクラスになる。個人的にはこれでもいいと思うけど、Mさんは何か物足りないみたい。
昼食後寮へ。ひと休みしていると眠くなり、受付の椅子を並べて一眠り。起きてから帰宅し馬頭琴の練習。15:30すぎに再び寮へ、図書館の入館証をつくるべくZ老師と図書館へ。手続き終了後蒙古学学院へ行き、Y老師の教科書を買おうとするとT老師(去年9月から半年モンゴル語を教えてくれた先生)に再会し、教科書を買うのを手伝ってもらう。あちこちたらい回しにされてようやく買えた。1人だったらちゃんと買えたかどうか。
寮に戻り教室で勉強するが間もなく眠くなり、椅子を並べて寝る(また)。19時にMさんに起こされ、Mさん、Fさん、E、受付のSと火鍋を食べに行く。

2004年9月6号(一) 晴れ 強風
昼寮へ。洗濯機をまわしつつ学食で昼食を買い寮で食べる。ただ全部は食べず少し残しておく。
14時すぎに帰宅し、洗濯物を干して少し昼寝。16:30すぎに再び寮へ、昼の残りを食べ17時からモンゴル文化の授業。当然ながら知らない単語ばかりだが、その意味さえわかれば文の意味がだいたい取れたので良かった。19時まで休憩ナシでみっちり2時間。

2004年9月5号(天) 晴れ
Jさんが「河野屋に行きたい」ということで、おとといに引き続き河野屋へ。服務員は「よく来る客だなあ」と思っていることだろう。食事中Nさん(馬頭琴の先生)から「演出(公演)のリハーサルのため今日は行けない」という電話。演出の具体的な日程は未定だが、第3週あたりになるらしい。

2004年9月4号(六) 晴れ→曇り 夜雨
6時に起床。S(3年前にナイマン旗の植林地で知り合ったモンゴル人。財経学院に入学が決まりフフホトに来た)を迎えに駅へ。6:56に列車が到着後20分くらいしてSが出てきて、1年ぶりに再会(ちなみに20分たっても人の流れが途切れなかった。たかだか15両くらいの編成の列車に一体何人乗っていたのだろうか、と考えると空恐ろしくなる)。タクシーで財経学院へ行き入学手続き、その後寮へ入り荷物整理。さらに農業銀行へ行ってカードをつくる手続き。この間私はただ一緒にいただけで手伝いらしい手伝いは何もしなかった(と言うかできなかった。当然のことながら言葉はSの方がずっと話せるなので)だけど、田舎から1人で出てきた子にとって、知り合いがいるということは非常に大きなことなのだろうな、と思った。
10:30にお別れ、帰宅。その途中H老師から電話があり、昼食後13時に南門で会い文化商城の文化書店(モンゴル関係の専門書店)で授業で使う本を探す(と言うか探してもらう)。

2004年9月3号(五) 晴れ
Sさん、Mさん、Z(韓国人)、E(フィンランド人)、D、Dの友達(ともにモンゴル人)と河野屋(日本料理屋)へ行き昼食。お店の中でI先生(日本語を教えている)、Yさんに会う。食後寮でSさんとネット関連についてしばらく話。14:30に帰宅、15時すぎにA家へ。Sに日本語を教える。途中Iさんから「田舎から友人が来るので、一緒に夕食をどうか」と電話。
18時前においとま、H老師に電話して寮まで来てもらい、来週以降のモンゴル語の時間と教科書について相談。その後Iさんの電話を待つがかかって来ず、電話をかけても出ず。19:30まで待つが結局連絡が取れず、19:30に下班(退勤)する受付のSと小金星で夕食。

2004年9月2号(四) 曇り→雨
1,2時間目は本科へ行き、Y老師の現代漢語(モンゴル人班)を聞く。今日は発音についての授業で、正直興味なかったけど、いざ聞いてみると歴史、文学、外国語、とあらゆる分野から例を引いて説明するので全く飽きが来ない。さすがY老師、いつもながら素晴らしい授業をするなーと感服。あと授業後、まったく面識がないにも関わらずモンゴル人学生が私にあいさつしてくれた。モンゴル人はやっぱり違う。気持ちよかった。
10時にU老師の事務室へ。昨日会ったI老師は「方言があるのと、I老師は女性なので男に教えることはできない」という訳の全くわからない理由で教えてもらうことができなくなり、H老師という人を紹介された。とりあえず電話番号を教えてもらい、後日日程について相談することになった。その後、週何時間やるかU老師と相談。最初U老師が「6時間」と言うので「少なすぎ」と答えると「では8時間でどうか」と言われる。ここでもさらにゴネて、最終的に週10時間にしてもらう。
いったん帰宅し、12時すぎに寮へ行くと、事務のJ老師から「午後公安に行き居留証(外国人の在中証明書)の手続きをしに行く」と突然言われる。久々に学食へ行き昼食を買って持ち帰り、寮で食べる。ご飯が「どうやったらこんなにまずく炊けるの?」ってくらいまずかった。
食後再び帰宅し、準備をして3たび寮へ。今日手続きに行くのはN(モンゴル人)と2人みたい。最初J老師が「忙しいので一緒に行けない」と言うがNが「2人ともどこに行って何をしたらいいかわからない」と言うと「タクシー代を2人が出すのなら一緒に言っても良い」とJ老師。どこが「忙しくて」だか、単に学校が足代出してくれないだけじゃん。全てがこんな調子だからいつまでたっても学生からあてにされないということに、いつ気付くんだろう。
無事手続きが終わり、18時すぎに帰宅、4たび寮へ。E、Mさんと魯東で夕食。ここの料理は本当においしいのだが、とにかくウルサイのが唯一の欠点。MさんがEに「中国では静かな食堂を探すのが大変」と言うとEが「フィンランドではこんなにうるさいレストランを探すのが大変」と返し大爆笑。

2004年9月1号(三) 晴れ
今日から授業開始(ただし私以外)。Y老師の本科の授業はいつか聞くため10時に寮に行くが、Y老師来ておらず。よく考えたら今日は水曜日だった(月曜日の時間割を見ていた)。いったん帰宅し12時すぎに再び寮へ。学食に行こうとするとMさんがEという新しいフィンランド人を紹介してくれて、3人で昼食。
午後、今度こそY老師の中級綜合の授業にお邪魔。Y老師の授業は本当にすばらしいが、今学期はモンゴル語をメインに考えているので、恐らく受ける時間がないだろう。本当に残念。授業後Y老師に本科の時間割を聞き、木曜日の8時〜10時の授業を聞くことにする(ただ「最初は発音とか漢字の授業になるのでしばらくの間は意味がないだろう」ということで、明日だけ出てしばらく出なくなるかも)。
授業後、受付でI老師(先学期E老師から紹介してもらったモンゴル語の先生)に会い、一緒にU老師の事務室へ。だがE老師からU老師に話が伝わってなかったらしく、I老師に教えてもらえるかどうか明日もう1度U老師に聞くはめになってしまった。

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